「生きる意味」の有無は重要じゃないことを知るための話

少し前に2ちゃんねるのまとめアプリに流れてきて、はっとさせられたので紹介します。

彡(゚)(゚)と考える「生きる意味」』という記事です。あえて大げさにいうと、人生において羅針盤になりそうなことが書かれています。

少し長く、また「創造論」「シミュレーション仮説」「ニヒリズム」…など、やや難しそうな言葉がたくさん出てきますが、対話形式でゆるく展開されていて、不思議とすんなり理解できる内容です。正直、元記事を読むのが一番わかりやすく、記事として取り上げる意味は薄い気もしますが、備忘録として強引にまとめます。

生きる意味の「意味」って何?

生きる意味を考える前に、そもそも「意味」とは何かというところから話が始まります。

彡(゚)(゚)「ヘイ、尻!意味って何や!」ピコピコーン?

Siri『意味とは《物事の、存在するにふさわしい、価値》の事です』

彡(-)(-)「物が存在するにふさわしい『価値』か」

彡(゚)(゚)「ほんなら、『価値』ってなんやなん。尻!」ピコピコーン?

Siri『価値とは《どれくらい大切か、どれくらい役に立つかという程度。その大切さ》の事です』

このことから、生きる意味とは、『その人が生きる事がどれだけ役に立っているか』と定義付けられました。どうでもいい内容に聞こえますが、これがこの物語のすべての根底となります。

人は誰が作ったの?

そして、「誰の」役に立てば価値があるのかと言う流れで話が展開されていきます。

人で考えると難しいということで、まず「箸」に焦点が当てられます(居酒屋で話している設定です)。

 

彡(゚)(゚)「ホンマにただの棒切れやったら何の価値もない。せやけど、これは『食べる』という目的のために作られた道具や」

彡(゚)(゚)「せやから、価値があんねん」

「箸」はものを食べるための道具として、人によって生み出された道具である。では、人の場合はどうか。ここで「創造論」という言葉が登場します。

「人は神さまによってつくられた」という理論ですね。宗教に馴染みのない日本だと「まぁそういう考え方もあるよね~」くらいの感覚ですが、世界的には、まだまだメジャーな考え方のようです。

彡(゚)(゚)「人が神さんに作られたのなら、人の生きる意味は既に神さんによって与えられているという事が言いたかっただけや」

「現代版創造論」として、「インテリジェント・デザイン論」という言葉も登場します。こちらは、人を作ったのは神さまではなく、「偉大な知性」と考えるようです。

これらの理論を信じれば、神さま(あるいは、偉大な知性)によってつくられたわたしたちは、「箸」と同様に、生まれながらにして「生きる意味」を与えられていることになります。意味がなければ、つくらないですもんね。理にかなっています。

神さまも偉大な知性も、存在しないんじゃないの?なんて思う人もいるわけですが、それは「悪魔の証明」になるわけですね。「絶対にありえない」と証明することは困難なわけです。

悪魔の証明と「空飛ぶスパゲッティモンスター教」

神さまや偉大な知性が存在しないということを証明することはできません。しかし、だからといって、存在することが証明できるわけじゃないものを信じるのであれば、何でもありになってしまいます。

詳しい説明は省きますが、それに一石を投じたのが「空飛ぶスパゲッティモンスター教」ですね。

わたし自身、宗教の類は苦手というか、心から信じることができないのですが、もしどれか1つの宗教に属さないといけないのならば、わたしはおそらく「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」を選びます。

興味がある人は、検索してみてください。ヤバそうな名前ですが、非常に興味深いです。

神さまや偉大な知性の存在を信じる人は、信じればいいわけですが、信じられないよという人もいるわけですね。そういう人は無理して信じなくてもいいし、気持ちの拠り所として、スパモン様を信じるのもいいでしょう。

シミュレーション仮説

ここまでの話からガラッと雰囲気が変わり、「シミュレーション仮説」という理論が登場します。この世界は、プログラミングによって作られた仮想世界ではないか…という仮説です。ここで、「観念論」や「唯物論」といった言葉も出てきます。

創造論(人を作ったのは、神さま)、インテリジェント・デザイン論(人を作ったのは、偉大な知性)ときて、シミュレーション仮説では、少し科学的な感じになります。シミュレーション仮説では、神さまや偉大な知性にあたるのは、得体の知れない「プログラマや科学者」ということですね。

この3つの理論で共通するのは、仮に存在したとしても、創造主の考えていることは、うかがい知ることができないという事実と、創造主がわたしたちの味方なのかどうかもわからないということです。

どの理論であれ、創造主がいれば「生きる意味」があるということはできても、その「生きる意味」の内容自体は知ることができません。

【今日のまとめ】

・この世には精神や魂といったものが存在するという考えを観念論というらしい。
・シミュレーション仮説は創造論、そして現代科学(唯物論)とも矛盾しない。
・シミュレーション仮説が真実だとしても、それで生きる意味が分かる事はなさそうだ。

話がそれますが、元記事で紹介されている物語は、8日間にわけて投稿されたようで、1日ごとに「今日のまとめ」といった形で上のようにまとめられています。全体を一読した上で、「今日のまとめ」を通して読むと、理解が深まるかもしれません。

唯物論とニヒリズム

元記事の物語の著者の真意は、ここにあるようです。

ここで、「ニヒリズム」が登場します。

(´・ω・`)「人には価値がないって考えがニヒリズム?」

彡(゚)(゚)「極端に言えばそう言うことや」

~中略~

彡(゚)(゚)「ニーチェは『神は死んだ』って名言の通り、神さんのような超越的価値を否定したんや」

そして、「ニヒリズム」には「弱さのニヒリズム」と「強さのニヒリズム」に分かるのだそうです。

生きる意味などないのだ…と絶望してしまうのが、弱さのニヒリズム。逆に、生きる意味がないことを好意的に受け止めるのが、強さのニヒリズム。

彡(゚)(゚)「人生に本質的な意味がないからこそ、自由に意味を後付けできんねん」

…といった具合に考えるわけですね。

しかし、ここで問題が生じます。

(´・ω・`)「正直、弱さのニヒリズムといい…痛いところを突かれた気がしますよ」

(´・ω・`)「だけどやきうさん、結果は同じです」

(´・ω・`)「僕は結局、作り出すべき『価値』を見つけられない。だからこそ悩んでるんですから」

そう、多くの人がここで悩むわけです。

ここまでのまとめ

少し長くなりますが、きれいにまとまっていて、これ以上なくわかりやすいので引用しておきます。

彡(゚)(゚)「ワイらが使っとる箸には価値がある」

彡(゚)(゚)「それは、『食べる』って目的の為に人が作り出したからや」

彡(゚)(゚)「これを人に置き換えると、創造論的価値観があると言える」

 

~中略~

彡(゚)(゚)「だが、科学が進歩した現代では創造論を信じられなくなった人も多くおる」

(´・ω・`)「うん、僕もその1人です」

彡(゚)(゚)「そこで普及してきたのが唯物論的な価値観や」

彡(゚)(゚)「唯物論的価値観で言うと、この箸はただの棒切れ二本にすぎん」

彡(゚)(゚)「たまたま棒切れが二本あって、物を食べるのに便利やから『箸』って意味を後付けをしたって感じやな」

科学が進歩するまでは、創造論的価値観に基いて自分の価値を認識することができたわけですね。しかし、現代になると、そういったことを信じられなくなってきた人もいて、ニヒリズムという考え方が登場しました。

創造論的価値観を信じられなくなったことで、絶望してしまうことを、「弱さのニヒリズム」と言うんでしたね。そして、それから脱却すべく、意味がないのなら、後から意味をつけてしまえばいいと前向きに捉えることを「強さのニヒリズム」と言うのでした。

しかし、「強さのニヒリズム」を受け入れるまでは良いとしても、自分の価値が見つけられなければダメじゃないか、困ったなぁ…というのがここまでの話です。

意味が足枷になる?

では、続きを読み進めていきましょう。

「箸」が最登場します。箸は2本で1組なので、1本が折れてしまったら、箸としての価値を失います。しかし、価値を失うのは、『それ』を「箸」としてしか見ていないからだといいます。「箸」を1本の棒として見れば、箸以外の使い方もできるわけですね。それなのに、価値がないと決めつける必要はあるのでしょうか。

言われてみれば、そのとおりなんですよね。

さらに話は進みます。はっきりと意味を与えられていれば、幸せなのだろうかという話。ここで、意味があるからこそ足枷になることもあると語られます。

 

彡(゚)(゚)「この子は最初から『医者の息子』という『意味』を与えられとるからこそ悩むんや」

…核心に近づいてきました。

意味は後からつくることもできる。また、意味があったほうが幸せとも限らない。

なかなかに難しい話です。

誰の役に立てばいいの?

ここで、最初に出てきた生きる意味の定義「その人が生きる事がどれだけ役に立っているか」に再帰します。

大事なことが抜けてるんですよね。役に立つのはいいのだけど、誰の役に立てばいいのでしょうか?

 

彡(゚)(゚)「せやな。ほな、役に立つって誰の役に立てばええんやろ?」

~中略~

 

(´・ω・`)「もしかして……自分自身、でしょうか?」

そう、家族や友人、会社の役に立つことも大事ですが、まず一番に役に立たないといけない相手は、自分自身ですよね。

彡(゚)(゚)「せやけどな、自分自身の望みを無視した時、人は『自分』という1番役に立たなアカン相手から逃げた事になる」

彡(゚)(゚)「原ちゃん、ワイはな。その時こそ、人は本当の意味で『無意味』になると思うんや」

自分自身の望みというのは、自分の素直な気持ちから見い出せばよくて、最初は「のんびり生きたい」くらいの大雑把なもので十分なようです。そこから少しずつ、自分の望みを具体化していけばいいわけですね。

生きる意味とは?

(´・ω・`)「まだ生きる意味がハッキリ分かったわけじゃないけど」

(´^ω^`)「でも、後は自分の力で時間をかけて見つけて見せます」

この先は個人の課題になっていくわけですが、すべては考え方1つなのだと思います。

神さまも、偉大な知能も、得体の知れない科学者も、スパモン様も、いるかもしれないし、いないかもしれません。何を信じてもいいし、何も信じなくてもいいわけです。

創造的価値観に価値を見いだせれば、それも良いでしょう。それが難しいようだったら、「強さのニヒリズム」によって、後付けで価値を見つけるのも有効な手段です。必ずしも片方に絞る必要もないですし、それ以外に自分の納得の行く答えがあれば、それでも良いでしょう。

迷いが生じたら、何度でも読み直したい物語ですね。

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